2012年1月15日

一時ほどではありませんが、放送大学などでも「心理学を学ぶ」人々は増加しています。なぜでしょうか。ストレスが多いからでしょうか。先行きが見えない社会だからでしょうか。その理由を考えてみましょうね。

心理学を学ぶ学生の動機について調査してみると、「悩みの解決の仕方や心の仕組みを知りたい」や「他人の性格、自分の性格を知りたい」という理由が多かった。対人関係は日常生活そのものであり、身近な友人や家族とのコミュニケーションをうまくやるためにはどのようにしたらよいかを臨床心理に求める学生も少なくない。「ストレスなく快適にうまく生活したい」という気持ちは、多くの人の共通の希望である。しかし、生活をしていく上でお金、勉強、就職、仕事、異性等のついて心の悩みは尽きないのも現実である。しかし「悩む」ということをもう少し考察してみると、「悩む」こと自体、現状を改善し、より良くなりたいという人間の「成長欲求」が潜在していることが推察される。つまり心の中に健康な欲望があるからこそ、その問題解決に悩むのである。「悩む」という一見、ネガティブなことの中にポジティブな心が内在されているのことに気づくことが重要であろう。しかし、この悩みのプロセスでは、社会環境によっても変化する。例えば、本人が努力せずとも環境が良好で、入学や就職ができる場合もあれば、不況やリストラ、あるいは戦争などの社会的障壁により本人の真摯な努力にかかわらず希望どおりにいかない場合がある。逆に、環境要因とはあまり関係なく、本人自身の性格の問題や、人格の未熟さや極端なコンプレックスなどに影響され、問題や不適応が発生する場合がある。いずれにしても適応の破綻は、そのストレスにより不適応状態における心の悩み(神経症や心身症あるいは非行、引きこもり、精神病的反応等)を呈する。臨床心理学は、このような個別的性格要因や環境との相互作用を把握し、その問題をどのように解決したらよいのかについてその法則や技法を探求する学問である。孫子の兵法の如く「己を知り、環境を理解する」ことが肝要になる。そこで筆者は臨床心理学を理解するひとつとして「気づきのワーク」として知られている「ジョハリの窓」を学生とともに体験している。我々には自分で自分がわかる部分。他人は気づいているが自分では気づかない部分がある。わかるということはどういうことであろうか。相手をよく理解し自分をよく理解することである。自分が他人にどのように認知されているかを知ること。そして相手をありのまま思い込みのない状態で把握する。表情や動作から緊張があるとすれば、彼の心の中の何らかの不安や心配を推察し、お互いに他者認知と自己認知で了解していくことになる。例えば図1のようにAをお互いにわかる領域、Bを他人にはわかるが自分には気づかない部分。Cは自分だけはわかるが他人にはわからない部分、自分にも他人にもわからない部分Dがある。良好な関係を保つためにはなるべくお互いに分かり合える領域が広がることが良いとされている。なぜならばその方が、自分を知り、自分の可能性について気づくことになるからである。さらに人間関係においても、自己開示や不必要な防衛機制から開放され、自己本来の対人関係をもつことができるからである(人間関係の心理学、蓮見将敏他編著、福村出版)。実際に「ジョハリの窓」を使って、ワークをやると自分で自慢すべきところに相手が気付いてくれなかったり、全く気付かないところを指摘されることもある。