人間社会は“まなざし”の世界でもある。
他人が自分をどう見ているか、あるいは、どう見られているかによって喜怒哀楽の情も変化する。我々は、毎日、組織集団の中で“まなざし”を気にしながら生活していると言ってもよい。人間関係も、他人から目をかけられているのと、無視されているのとでは、大変大きな違いが生じる。しかし、いくら他人のまなざしに注意し、落ち度がないように生活していても、人間である限り一度や二度は“悪評”を流されることがある。この場合、困るのは全く自分では身に覚えが無く、しかも、情報発信者不明の場合であるという(作家 童門冬二氏)。
“悪評”がたった場合「まあいいや、いつかはわかってくれるだろう」と心の中で思い、毎日の仕事に精進するタイプと、あいつか?こいつか?と犯人探しに頭をフル回転させてついには誰でも疑ってしまい、ストレスで神経が参ってしまうタイプの人がいる。
“悪評”ということについて考えてみると、原則としては「火の無いところに煙が立つ」場合もあるということである。
つまり、発信者が善意で出した情報も、仲介者が悪意に返還してながした場合がこのケースである。
人間関係では、このような人の心の歪みが介在する、無から生じる事もあるのである。
“悪評”が生じたら、第一にまず噂の中身を詮索する事をやめること。第二に、視座を変えてみることである。
つまり、“まなざし”を変えてみるということである。 かような柵(しがらみ)が生じるのは、人間組織集団社会が「義理と人情をハカリにかけりゃあぁ、義理が重たあぁぁい、男の世界」だからである。理儀とは道義上の体面、交際上なすべきことである。最低限、男として組織人として守らなければならないルールがある事は確かだ。
フコク生命が東京・大阪の500人のサラリーマンを対象にした調査から、
- 社内で顔を合わせた時あいさつを欠かさない人
- 日ごろの付き合いがいい人
- 冠婚葬祭への対応がいい人
がよく見られたという結果が出た。
そして、同様に嫌われるタイプのワースト10は
- 約束を破る人
- 酒癖の悪い人
- お金にルーズな人
- 口の軽い人
- 礼儀に欠ける人
- 時間にルーズな人
- 煮え切らない人
- みえっぱりな人
- ギャンブル狂いの人
- ケチな人
が同僚に嫌われるようだ。
今も昔も男の付き合い方は難しい。