私の知人、伊藤羊一氏が書いた「1分で話せ」がベストセラーになっている。
難しいことを易しく書いたり、話したりするほど難しいことはない。
羽仁五郎が「真理は単純明快にあり」を終生のモットーにし、哲学者ベッセルも「平易な言葉で言い表せることこそ、認識の深さの指標である」と語っている。
あまりグダグダ、ダラダラと難解な用語を並べたてて、しゃべりまくるのは、ご本人自体もあまりわかっていないということであろう。
従って、良いスピーチは簡結で単純でわかりやすい。ましてや「1分」だったら驚愕の賛辞を与えられる。
悪いスピーチの時は聞いている人は、大てい眠っていたり、隣席の人とヒソヒソ話をしていたり、机の下で内職をしているものである。
会議の合理化・ロスタイムの解消のためにも、人前でしゃべったり、司会をする任にある人は、「1分で話せ」の勉強をしてみたら良いであろう。
組織の会議でなかったら、サッサと逃げ出したくなってしまうと参加者に思われるようでは落第である。
しかし本人が一番気づいていない場合が多いようである。
そこで「人が耳を傾けたくなるスピーチ」方法を考えてみよう。
話が長いというのは、ご本人の頭の中で物事が整理されていないからである。「1分で話せ」は素晴らしいが、なかなか難しい。我々はせめて「3分」からはじめよう。
まず、話を3つに分けてみることである。
文章の基本的構成は「起・承・転・結」であるが、筆を取っている時以外は、なかなか頭の中で四つに分けるのは難しい。
まず、3つに分けることを薦したい。問題点・解決策・実施案といった具合である。あれもこれも話たい。「それから…」「それから…」では何十項目になるか聞いている方ではストレスが昂じる。あまり欲ばらず三案くらいにまとめるとわかりやすい。
三案説というのは人間に馴染みやすく、料理も松竹梅であるし、歌手もトリオが多い。ジャンケンもグー・チョキ・パーであるし、知育・徳育・体育あるいは「三人寄れば文殊の知恵」などという。
一日の精神の集中時間も三時間であって、極度の緊張はそう長くは続かない。
われわれの心理学的記憶の持続時間も3分であり、3分間スピーチは理にかなっている。カップラーメンも3分待ってできるから即席なのであって、5~6分だとイライラしてくる。3時間待って3分診療もずいぶんストレスのもとになった。
手習いも、「三日坊主」というのがあって、持続していくかどうかの分岐点である。孔子は人生の中で三十歳にして自立と説いている。
会議の中での意見も大ていは、楽観案・悲観案・中間案に分かれる。コンピューターと異って人間の感情はYESかNOのどちらかで答えられるものが少ない。
YESとNOの他に「どちらでもない」という三つの項目を用意してあげねばならない。
夢々、人の迷惑になるような司会や、会議の運営は厳禁であると心得た方が、組織の発展や生産性向上のためにベターである。