ストレス快笑? 50の知恵シリーズ(28) 心頭滅却火自涼

35年以上も「ストレス調査による研究」をすすめている。

そうすると「職務充実感」というのが、きわめて私たちのストレスの量を左右することを知らされる。

毎日どのような「心がけで仕事をしているか」ということである。

「踏切りは、人を遮るためじゃなく、人を通すためにあるんだと思うとります」 という言葉を本郷孝信氏が静岡のロータリー・クラブの永年功労者表彰式で耳にしたものである。今では有人踏切はすっかり姿を消したが、ある老踏切り警手さんの50年間無事故で勤め上げ、その引退の最後の一言であった。

同じ人の安全を守る仕事でも、人を通すために踏切りがあるという意識と、人を遮るために開閉機を回すという意識では同じ、五十年間でもずいぶん違っていたであろう。

「自分は人を通すために踏切り警手をしている」という心がまえが、この人の人生を意義あらしめたのだ。

最近、「心理学」の本が書店に行くとあふれかえっている。しかしながら、素朴な疑問の「心」とは何か、というと答えられない。宗教学者に「心とは」と聞くと「心は不滅である」という答えになる。行動心理学者や哲学者は、人間が死んでしまうと「心も無くなる」と答える。

日本ではpsychologyは「心理学」であるが、psychoanalysisは「心理分析」とはいわず「精神分析」という。

お坊さんは「心」とはいわず「魂」という言葉を使う。この3つを、どのように区別して考えたらよいのか、わかっている方があったら教えてほしい。

疲れてグッタリしていると「オイッ・精神がタルンドルウウウッ」とどなられるかもしれないが、「心がタルンデル」あるいは「魂がタルンデル」とはいわない。

このところ、やはり人間に共通するのが「精神」(メンタル)という言葉であろう。都会の暑さでまいっている人も、肉体的疲労は同じであるにもかかわらず、同じ温度のもかかわらず、高原の冷涼なテニスコートで汗をかき一日プレーをしているときは、気持ちがいいと感じてしまう。

ゲームをして負けた方は身体の調子をくずしたりするが、勝ってしまうと「もう一回やろう、もう一回やろう」と疲れは飛んでしまう。この場合にもゲームによる疲労は同じであるが、その場が自分にとって快適であるのか不快であるのかによって、それが不快や快に分かれてしまうことになる。

デモ隊が神田で自動車をひっくり返して火をつけた事件があった。ただちに消防士が出動して、水をかけてデモ隊を追いはらった。しかし、全身・びっしょり水をかけられたデモ隊には風邪をひくものが少なかった。逆に水をかけた方の消防士が風邪をひいてしまった。

後からの話しだと、消防士の仕事は火に水をかけることである。

デモ隊にかけるのはいやだなあ……と思いながら仕事をしてそのうち風邪をひいてしまった……とのことであった。寒冷時に全身水をかけられたデモ隊は風邪も引かず、防寒具で身をかため一滴の水もかぶっていない消防士が風邪をひくということは、やはり正当性は別として、目的意識をもって行動しているかどうかという精神力の差によるものであろう。また「怒り」にも二種類ある。人間が「怒り」の状態になるとアドレナリンが分泌され、血圧が上昇する。

従って、高血圧の人が不安や焦りでイライラすると、その弊害は胃袋へいかず、心臓や、頭の血管の方へ行き、結果的に脳いっ血等の病理学的変化へ至る。しかしながら、社会的正義感に燃えた「怒り」は、アドレナリンを分泌しない。

が、もう一つ、その人自身の感情的な怒りは、アドレナリンを分泌させ高血圧へと導くのである。同じ横ツラをひっぱたかれることでも、幕下稽古で、横綱にひっぱたかれても「ごっつぁんです」と喜んでまた胸を借りるだろう。だが、同僚同士だと「頭に来て」怒ってしまう。

「ストレスは避ける態度」よりも「受ける態度」の方が問題になってくる。山梨県の恵林寺の山門には「心頭滅却火自涼」(心頭滅却すれば火おのずから涼)とある。戦国時代、・織田軍に攻撃された快川和尚は、火あぶりの刑に処せられ、自らの両足を焼かれながら、この言葉を残したという。

また、山門の一方には「安禅必不須山水」(安禅かならずしも不須山水もちいず)とある。この意は、「人々が心の安らぎを求めるのに山や川の静かな場所は、必ずしも必要でない」ということである。大都会にいても、高原の涼しさを味わえるという快川和尚の言葉をあなたはどう受けとめるか。

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