メンタルヘルス最前線⑨ 「配転」と「父の死」というダブルパンチで…
総合心理教育研究所主宰 佐藤 隆
<楽園と地獄>
「仕事が楽しみならば人生は楽園だ。仕事が義務ならば人生は地獄だ」とはロシアの作家ゴーリキーの言葉である。
A製作所に勤めるB氏(36歳、男性)も、自分の好きな組立加工の仕事に、毎日楽しく取り組んでいた。同じ職場の顔なじみの仲間とも心が通じ合い、パラダイスまでとはいかないが、職場はB氏にとって自己実現の場には違いなかった。
しかし、我が国の企業に共通した現象として、安定成長の中では「多能工化」「多技能工化」が避けられない流れとなっている。つまり、”少数精鋭主義”であり、昔のような単能工化では対処していけなくなってきているのである。
言い換えると1人の従業員に多くの技術、技能を身につけさせ、多くの部所で能力を発揮させようとする制度である。そのためには、配置転換が必要不可欠となってくるし、また従業員にとっても多くの可能性が与えられるというメリットも加わることになる。
B氏もこの多能工化の流れに沿って、「加工組立」から「工程管理」へ異動した。
<わがままは許されない…>
B氏にとって、デスクワークは「嫌な仕事」であった。
しかし「仕事にわがままは許されない…」という自らの信条のもと一生懸命取り組んだ。
仕事が変わって1ヶ月、入院していた父親が85歳で他界した。尊敬していた父だけにB氏は心の中にポッカリ穴があいたような心境であった。
配転後3ヶ月、一生懸命やらねばと思いつつ毎日職場で努力するのだが、机の前に座っているだけで顔から汗が出たり、手がふるえたり、舌がしびれるような状態になってきた。キーボードをたたくたびに疲労が重なり作業能率は極端に低下した。
上司や同僚はあまり無理しないでゆっくり慣れるようにと励ましてくれるのだが、そう言われるたびに「自分は人よりも劣っている」「なぜこんな仕事ができないんだろうか」「前の職場に戻してほしい」「このままだと会社をやめなくてはいけない」「将来どうなってしまうんだろうか」等々の不安症状が頻発した。
<このままだと死ぬしかない>
上司が心配し病院の神経外科外来受診。抗うつ薬の投与で2週間後に抑うつ状態は改善に至った。上司が心配してくれたことがとてもうれしかったと笑顔で話す。早く仕事がしたいということで3週間後職場復帰。1ヶ月後、無気力、ゆううつ、下痢、便秘、人に会いたくないなどの症状で来診。「なんとか今の職場から前の職場へ戻してほしい」「このままだと死ぬしかない」と言うなど深刻。精神科医による薬物治療とともに、心理相談員とのカウンセリングも開始した。
その内容は次のとおり
①健康を回復するまで休む
②仕事は完全にできなくてもいいと思うようにする
③新しい仕事についてはマンツーマンであと3ヶ月教わって、それでもできなければ前の職場に戻る
等を話し合った。
3週間の自宅療養後、職場に戻り、今ではすっかり元気になって働いている。
<配転後1ヶ月にご用心>
図1は、出向、異動、配置転換から精神症状発現までの期間を、表1はそれに伴う変化の所側面を示している。年齢は25歳から58歳までで平均は43.6歳である。特に最初の1ヶ月以内に精神に症状が現れていることから、1ヶ月以内のケアが重要と思われる。また生じる変化、負荷の諸側面では「新しい職場に知人がいない」70%、「仕事内容が大きく変わった」65%であり、発病前の本人の性格(メランコリー親和型)とも合わせ、職場における社会心理的要因にも目を向け、サポート・システムを作り、配転時における”クライシス”防止に配慮する必要性が今後不可欠となろう。
引用文献
島悟・佐藤隆「出向・異動・配置転換に伴う精神障害」
臨床精神医学第20巻2号 国際医書出版