メンタルヘルス最前線⑩ 飢寒乏(キカンボウ)を知らない世代
総合心理教育研究所主宰 佐藤 隆
<何となく会社に行きたくない>
九州にあるハイテク機器メーカーに入社が決まったA君(22歳)は電子工学科卒の優秀な新入社員であった。
研修が終了した7月ごろから何となく元気がなくなってきた。
別にこれといった原因があるわけではないし、職場の人々との付き合いもほどほどである。会社についても「良い会社に入ったと思っていますし、両親も喜んでいます」とのことで単なる不適応でもなさそうである。
なんとなくしっくりこない。自分でも努力しているのだが、仕事が嫌いというわけでもないし、一体何なんでしょうね、と本人も首をかしげている。
上司も同僚も心配しているし、本人も頑張ろうという気持ちはあるのだが「しっくりいかない状態」で会社を休んでいる。「自分に合わない会社だったらすぐに転職を考えますが、会社も職場の仲間も好きだし、自分でもどうしていいのかわからないのです」と心理相談室を訪れた。
<トラブルがあれば即退社>
ベルリンの壁が売り出されたと思ったら、ソビエトのクーデター騒ぎである。ソ連や東欧の若者の中には「死」と隣り合わせの毎日を送っている者も少なくないだろう。ところが、戦後を経て豊かな先進国となった日本では、飽食、海外旅行が日常となり、飢えや寒さ、貧乏を知らない世代が多くなってきている。だからストレス・トレランス(ストレスに対する耐性)が弱く、トラブルがあれば即退社という図式である。
こんな新世代新入社員のケースを考える場合、次の3つの視点からアプローチしてみる必要がある。
1.職場の新人教育プログラムの点検
小中学校から”ハゥ・トゥ教育”をインプットされ続けてきた新人に対し、急に「自分の好きなようになってみなさい。失敗してもいいから」といった接し方で、職場教育(OJT)をしているところが少なくないが、心理学でいうところのオペラント※学習でなければなかなか効果が上がらない
また、「定着」対策が「諦着」になってしまい、新人が諦めの結果「まあこの職場にいてみるか…」という気持ちになるようなことを、上司はしていないだろうか。
2.本人自身の入社前の未解決の部分
特に親子関係等の問題は学生時代には表面化せず、就職でストレスがかかることによって、今までの未解決の問題が露呈する事が少なくない。
本人の無意識の中にある「心的外傷」や「心のしこり」は、本人自身にも気付かれずに存在するから「なんとなくこれといった理由もないのにしっくりいかないのです」といった言葉で表されることになる。この解釈、治療には精神分析学者やユングや心理学の心理療法という、すこし専門的なカウンセリングの施行が必要となろう。
3.上司やカウンセラーの狭い世代観
産業におけるメンタルヘルスが病院や教育相談所でのメンタルヘルスと異なる点は、「職場という場の中で本人自身が周囲の人々にサポートされ、未来を模索しつつ苦しみながら日々成長していくこと」であると考えられる
ややもすると上司やカウンセラーは頭では理解しつつも、その対応となると、自分の青年期の経験(苦しさに耐えて現在の自分を作ってきた)を土台に批判や解釈、判断をしがちであるので、専門的メンタルヘルスサービスを受けさせつつも、少し長い目(1年~3年)で温かく成長を見守ることが肝要と思われる。
新入社員時代いろいろ問題のあった者が、やがて組織に重要な貢献をする人物になることも少なくないのだから。
※オペラント
スキナーは、スキナー箱と呼ばれる動物の学習実験の装置を考案し、数多くの学習に関する研究業績をあげた。その中で、自発的な反応を強化することをオペラント条件付けというが、試行錯誤の中である反応が起きると、直ちに強化刺激が呈示されることによって学習は強化されていく。ある程度の達成可能な目標を設定して、一段階ずつ克服しながら学習課題を達成していった方が効果的である。