思考の労働を回避してはならない

思考の労働を回避してはならない

 

ウーン。エートッ。

それで。イライライライライライライライライライラ。カリカリカリカリカリカリカリ、イライライライラして見ても、ドバーッと書くことがでてこないのだ。

カタカタと机の下の貧乏ゆすりと”シャケ茶づけ”なんてのは頭の中にでてくるが、清く正しい人々の心の中に感動を与える文章などというものはおよそ太平洋のかなたの波間にただようプランクトンの如く消え去ったのだ。

「果たしてそうだろうか、果たしておれの書こうとしている文章及び日常の行動は、こんなことでよいのだろうか。このように夕闇せまる路上で、屋台の親父がラーメンを作るのをバカヅラをして待っている、というようなことで、おれの人生というものは果たしてこのようなものだったのかイライライライライライライライライラ」などという想いが、椎名誠調に、身体全体を湯気のようにつつむのであった。

アッ・ソウダ、突然ヒラメイタのだ。

―思考の労働の回避をしてはならないー

これはアメリカのエジソン研究所の玄関に掲げられている言葉である。

まさに「天才とは1パーセントの霊感と九十八パーセントの発汗である」と語った如く、あのエジソンさえも、ややもすると思考の労働の苦しさに耐えかね逃げ出すことがしばしばあったのである。

身体を動かす労働は「人間にとって心良い食事や睡眠を与えてくれる」のである。

人はルーチンワークの中に、心のやすらぎを見い出す。

何かを考え、生みだす思考の労働の苦しさから時には無意識的に逃避するために、わざと動きまわったり、余計な仕事を作ったりする。

エジソン自身に発明の苦しさから逃れるために、いつの間にか口笛を吹きつつ仕事に興じている自分を発見し、恐ろしくなり、また己にムチ打って思考の労働に没頭したのである。

われわれのいかなる職場においても、この思考の労働を必要としない仕事は皆無であろう。

なんでもスマートフォンを操作すると情報が手に入る。しかし、現実は、作業改善・合理化・効率職場システム・安全活動・・・あらゆるところに、自ら考える「思考の労働」が求められているのが現代社会といっても過言ではない。

しかしながら「時間がない、多忙である、予定がある、関係ない」などという言葉の中に、動き回る楽しさにかこつけ、本質を見きわけ合理的に仕事をしていく、思考の労働を無意識的に回避してはいないだろうか。

 

最後に一言

―思考の労働を回避してはならないー

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