メンタルヘルスを始めるには「暗い歴史を忘れてはならない」
わたしが就職した昭和63年に日本鋼管病院に産業メンタルヘルスの部屋が出来ました。いわゆる健康管理部門から独立して設立されたのです。日本ではじめてのメンタルヘルス専門の部屋でした。重複しますが「産業メンタルヘルスの室である精神衛生室」ができたのは昭和63年である。かれこれ40年以上になる。一方、現代社会はメンタルヘルス不全者が増加し、訴訟の問題も多発している。またメンタルヘルスがビジネス化され新規の人や企業も「メンタルヘルス業界」に多く参入している。
しかし、今の現象や問題に取り組む時に、メンタルヘルスの暗い歴史を踏まえた上で対応する事が必要と考えている。
ソビエト時代に反体制的であったり、あるいは時の権力に適応しない者は精神的病者として扱われてきた。中世では、心病む人は、身体を鎖で縛られ、心も鎖で縛ろうとしたのである。
先日の日曜日に『ハダカの北朝鮮』呉 小元新潮新書 2013年2月20日発行という単行本を買ってみた。その中にP143のQ11 オタク、引きこもり、うつ病は?という質問があり、答えは「北朝鮮では反体制行為として、自分で亡くなったりすることは政治犯の扱いとなり、幸せな社会でそのようなことは起こりえない…」という意味のことが記してありました。うつ病に関しては「精神病院に入れられ、退院者は多くないようです。」と記載してありました。メンタルヘルスは体制が変わると、その疾患の意味も変わるのです。
かつてのソビエト時代の社会主義国の文献を読んでみますと、いわゆる神経症(不安障害)圏の症状は存在しないのです。理想主義的社会体制で社会的病理で悩む者はいない…という考えで、それは何らかの肉体的な原因で発症する精神疾患であろう…という考えです。
このような観点から現実に起こっている新型うつ病や発達障害を考えていく社会精神医学的な考察も、今の産業メンタルヘルスには必要と思うのですが、皆様はいかがですか。という文章があった。
常に完璧な体制を求める所には、逸脱する分子は異常分子として取り扱われてきた歴史である。現代におけるメンタルヘルスにたずさわる者は、メンタルヘルスの暗黒の歴史を踏まえて、その土台に上に人権思想や体制の力動というものを考えて対応していく必要があろう。自戒の弁でもある。