【日本・アジア№1の良質なメンタルヘルス、ストレスサイエンス】
のサービスを提供する。

総合心理教育研究所代表 佐藤隆

総合心理教育研究所代表 佐藤隆

歴史を見つめ、未来のメンタルヘルスを創る

※いつから始めたのですか?

◇1971年、まだ「メンタルヘルス」という言葉はありませんでした。日本鋼管病院に健康管理と独立して社員の心の健康増進のために創設された「精神衛生室」に心理職(当時は医療技能員という資格)として職を得ました。当時は高度経済成長期で「人手不足(とりわけ金の卵といわれた中学卒業)」の時代でした。
日本鋼管槇田代表取締役は「人を大事にする働きやすい職場を作ることこそ肝要」そのためには「心の健康作りが不可欠」ということで、環境改善、未然予防を含めた精神衛生室(昭和43年設立)を中心に「精神衛生運動」を展開しました。
(資料1日本鋼管病院精神衛生室の概要と業務方針)

※どんな目的ではじめたの?

まだ、鋼管病院精神衛生室勤務でしたが、やがて日本鋼管だけではなく多くの企業でメンタルヘルスが必要になるに違いない。と考え、その時、命令倫理に従うだけでなく理想追及倫理に従い「生物心理社会モデル(当時はSPSモデルと呼んでいました)」に基づきの受け皿としてアカデミックな活動母体として総合心理教育研究所を立ち上げました。まだ心理職としての仕事のなかった時代です。仲間の仕事の受け皿になれればと思いました。この時の仲間が現在も多くの大企業の健康管理室で働かせていただいております。
*社会の法律の流れ:精神衛生法1950年、精神保健法1987年、精神保健及び福祉法1995年。

※他にやっていた企業は?

◇健康管理の産業医や保健婦(現在は保健師)による「精神疾患対策」は日本鋼管健康管理室だけでなく、電信電話公社(現NTT)や国鉄(現JR)の健康管理部門等々で活発に行われていました。しかし、心理学や行動科学、さらには経営学の視点を取り入れた精神衛生を行おうとしたのは経営トップの判断による日本鋼管病院精神衛生室が草分けであると思います。もちろんストレスチェックもその後のラインケアやセルフケアも行われていました。

※さみしい思いの日々

◇医師や保健師と異なり企業病院に勤務していると「心理職」って何やる人、保険点数も稼がない人、◆ない人だから「床の間のシミ的人」などと言われてきました。
(参考:臨床心理士資格制度はS63年発足)

※お金を稼がないメンタルヘルスって言われ

また人事部長からは「会社への貢献度を金額に示せ」といわれ、いつも室存続の危機にさらされてきました。精神衛生の仕事は総合心理教育研究所と同じで「相談、研修、学術研究」でした。当時の小泉昴一郎室長(医学博士)が「人の心は管理できない。よく心理社会的観点から話を聴き、その知見を研修に活かし、常に学術的観点から検証していかなくてはいけない。これを室の方針とする」という信念でした。二人で日本の産業社会の発展と働く人々の福祉の向上のための日本鋼管病院精神衛生室が「灯台」となって良質な明かりをともし続ければ、多くの会社でメンタルヘルスを取り入れるだろう。と誓いました。

※今は「新型うつ」「発達障害」が話題となっていますが、当時は?

◇病院、職場でのメンタルヘルは「統合失調症対策」が中心でした。当時、精神衛生室では戦後の産児対策で活躍した「生活相談員」が4名おり、メンタルヘルス活動として「よろず相談」を基本に、現場の食堂や詰所の近くに小さな「精神衛生相談室」をつくり、気軽に相談できることをアピール致しました。しかし、まだまだ精神疾患に対する偏見や誤解も多く、相談すること自体がネガティブなイメージを持たれて結局、生活相談員の定年退職とともに閉室になりました。また臨床の方も統合失調症を中心にした精神病治療が基本であり、「神経症の患者様に活用してほしい」といアピールに対しても、他科の医師からの依頼もなく、閑古鳥の鳴く状況でした。1990年、JFEに企業統合されること、わたくしが東海大学教授に就任されることを契機に鋼管病院を退職しました。

※現場の声に忠実に!

◇一方、臨床では「精神疾患の診断を受けて治療しているが、仕事ができない悩みや対人関係で苦しみ、無くなってしまう人や、いわゆる周囲のサポートが必要ということを感じました。当時、文献では「セラピーテックコミュニティ」が論じられていて、治療的職場の醸成を基本にアプローチさせていただきました。
さらに、精神衛生相談室への相談者は非常に少ない状態が続きました。しかし、高度成長期の現場の主な問題は「労働災害」でした。墜落、挟まれ、炎上等々の重工業の特有の問題で死亡災害も多数出ておりました。またまだコンピュータ化される前で、人的災害つまりヒューマンエラーによる要因が多数ありました。
特にコミュニケーション(意思疎通)の問題は80%も占めていて、ここでメンタルヘルスの提供できるサービスと現場ニーズが合致して、日々、現場に出向きストレスチェックや良好なコミュニケーション推進の専門的な方法を提供しました。
資料:佐藤隆著「ゼロ災害の道」エイデル研究所
*快適職場指針1992年(労働安全衛生法)
*THP指針=心理相談担当者
*「心理的負荷による精神障害の認定基準」策定2011年
*4つのケアと未然防止(第1次)、第2次。第3次予防

※カナダトロントを訪ねて、はるばると

◇より高度なストレスサイエンスを求めて世界No1のハンスセリエ博士の「カナダストレス研究所」と連携。所長のリチャード・アール博士と共にストレスチェックをテーマに共同研究を行うようになりました。THQストレス診断もこの共同研究から生まれました。ノウハウは企業秘密としてきましたので、あまりPRしませんでした。名前よりも成果が喜びです。

※学会多数誕生

◇学会多数設立期と資格問題
1990年ごろの東大医学部闘争に端を発した学生運動や政治の流れにおいても「イデオロギー対立」の強い時代でした。アカデミックな世界もこの流れと全く無縁だったわけではありません。特に精神医学や福祉、臨床心理系では。患者様の基本的人権擁護あるいは人間観、哲学、信条が混在していた時代であったといえます。このような中で心理臨床学会
産業組織心理学会(昭和60年 佐藤 設立発起人)
日本ストレス学会(昭和60年)
日本産業ストレス学会(平成5年 佐藤 設立発起人)
産業精神保健学会(平成5年 元理事)
が相次いで設立された。いずれも「ストレス概念」からは、学際的な学会を目指して発足するが、個人的所感ではあるが、どうしても時間経過とともに、やはり専門職化傾向がみられ、なかなか学術的には歩みが遅くなりました。

●メンタルヘルス法制化の流れ

◇ストレスチェック義務化(*2014年安全衛生法改正により「心理的負担の程度を把握する検査の義務化」
当初9項目のストレス反応が考えられていたが、結局は57項目版が使用されました。特に集団分析を参考にして「未然防止と環境改善」への活用が求められています。総合心理教育研究所は歴史的経過もあって40年以上ストレスチェックを継続的に実施しています。1990年の「ホーソン工場実験」に代表されるように職場の物理的環境だけではなく、HRM的に制度やリーダーシップという把握しにくいところでストレスは決定してくるように思います。またスタンフォード大学の「ストレスパラドック」的見地より考察をしなければならない。当研究所では、カナダストレス研究所の設立発起人アルビン・トフラー博士の未来学に基づき、やがて未来予測の集団分析が求められることを予測してデータ蓄積とデータマインニングの「ニューナルネットワーク」を駆逐し、企業のメンタルヘルス格付けとストレスチェック結果から未来を予測し、かつその改善を20年前から提供しています。
セリエ博士、トフラー博士の当初からの知見による戦略的ストレスチェックである。さらに、2006年よりグロービス経営大学院教授に就任し、多くの同僚教授から、経営学への知見を得て、臨床心理学、精神医学のみでなく、幅広い組織行動学に結び付けられるTHQストチェックを作成しました。
おかげさまで、義務化以降ますますご利用いただく企業様が増加している。
*メンタルヘルス業界をけん引してきた重責を肌に感じ、本当に「役に立つ良質なメンタルヘルス・ストレスサイエンス」のオピニオンリーダーを続け「日本・アジア№1のサービス」を提供したい。
(2006年4月1日グロービス経営大学院教授に就任。)

※会員企業様に公開しています

※日本ではじめての適応モデルに基づく「精神衛生活動」の資料です。(「メンタルヘルス」という名前ではありませんでした。)
※当時の膨大な資料の表紙のみ掲載しております。
※詳細な内容につきましては会員事業所様に閲覧いただいております。是非ご入会くださいませ。入会方法についてはお電話にてお申し込みいただければ幸甚です。