ある「血液型性格学」好きの課長がいる。「えっちゃん、わたちゃん(渡部君のこと)は営業から経理に回そうか。あつ、そうそう、あそこの龍三はA型だからあうとちゃう」とハッハッハッハッハッ・・・・・・・・・といったりするのです。やたら部下をちゃん付けで呼ぶ、人事の話を部下の前でする。ゲラゲラよく笑う、よく食べる、よく寝る…。こんな課長がいるのです。全体からは支持はないが、周囲の人からは支持される政治家のように、結構これでも部下の支持率が高かったりするのです。
しかし、しかしである。人事配置に影響力のある方が、この血液型性格学にあまりにも熱心になること、やはり科学的信頼性があるか気になる。
「血液型性格ブーム」はあるが、精神医学学会や心理学会で「血液型性格学」についての研究発表会が行われたことも少ない。あるとすれば否定的発表である。
私の記憶によれば明治時代だったと思うが、ある軍医が兵隊検査の時に、血液型と兵隊の性格に相関を見い出し発表した。しかし科学的検証性があまりにもないために否定された。
血液型、そのものが1901年にウィーン大学助手のランドスタイナーによって発見された。その後10年、血液型の不一致によって輸血で人が死ぬため、現在のABO型の知名度が上がった。しかし、血液型そのものがABO、Rh+-だけでなく、現在はっきりしているものだけでで、おおよそ60個240型がある。
ABO式血液型が有名なのは輸血などの場合、注目しなければ重大な事故になってしまうからである。
血液型は、赤血球の膜の上にどのような型物質があるかによって決まってくる。赤血球の膜の上にAという型物質を持っている場合A型ということになり、同時にAという抗原を持っているということになるわけである。
このA抗原をもっている人の赤血球の膜の上には、他の種類の血液型の抗原もついていることになり、なぜA抗原だけがその人の性格に影響を与えるのか考えられなくなってくるわけです。
A抗原は遺伝子で決まるわけですから、赤血球上の抗原と遺伝子に性格との相関があったと仮定すると、普通使用される十種類の血液型との組み合わせを考えただけでも九千六百万通りの性格類型になることになる。また、血液型説をとれば、バイオテクノロジーによって人間の性格まで変える事ができるようになる。
しかしなぜ、血液型性格学ブームが続いているかといえば「血は水より濃し」であり、感覚的になるほどと見えてくるということがある。さらに人間は、性格という「不明」なものを考える時“レッテル”を貼ることによって自己の内的不安を沈めようとする。あの人はA型だからあのような行動をすると考える事で自分の不安感を減少させようとするのである。
仮に、自分の本当の血液型でないものを人に言って(本当はO型なのにB型のようにいう)判断してもらうと、たいていはそうあなたはB型ネ…という確率が高い。
人の性格は社会や成長によって変化する。人を固定的にみる血液型性格学は星占い位に考えておくのがちょうどいい。
最近では科学的エビデンスがあるものとして「認知心理学」がある。心理学好き課長さんは、血液性格学も面白いが、部下を見る場合は「認知心理学」好きになってもらいたい。こちらの方が「良い」ですよ。