いつの頃からか「ユトリズム」という言葉が使われだした。
機械工学でも、歯車の、歯の凸部の先端と凹部の底には必ず頂隙(隙間)があり、歯と歯のかみ合う点には背隙があり(はいげき=バックラッシュ)という“ゆとり”がある。機械でも航空機でもスペースシャトルでも、自動車のハンドル遊びと同様のゆとりがあるからこそ、その本来持っている能力を発揮できるのであろう。
こと人間にも、この考え方は適応できるのである。
人体構造の中でも、最も「ゆとり」があるもののひとつは「脳」である。
人間の脳細胞は、およそ140億個の脳細胞(神経細胞=ニューロン)がある。実際に使用しているのはわずか10%であり、かなりの余裕がある。脳出血によって出血した血液による脳細胞の破壊によって体のマヒ等が発生する。
しかしながら、このようなダメージを受けた人でも、根気よいリハビリテーション訓練の中で、かなりの部分のマヒを克服していく人も中にはいる。
今まで使われていなかった脳細胞が、破壊された脳細胞のかわりをしたためなのである。
ゆとりは漢字で「裕取」と書いた。
「裕」とは、ゆったりした衣のこと。つまり、身体と衣の間に、ある程度の「すきま」があるということなのだろう。軍服やビジネススーツには、ゆとりが少ない。ネクタイ等のように、ある程度、身体をしめつけ、縛ることによって、緊張感をしいているのではないか。ダラッとした朝でも、背広(スーツの称)を着た途端に、ビシッと引き締まるのは、このためであろう。
「裕取」という字は、最初は人の身体と子供の間の関係を表す意味を持つ言葉として出たのであろうが、それが及ぼす効果が、身体と身体部分の内部、そして身体と心の関係にまで及んだのではないだろうか。その結果ゆとりは、リラックスした心的状態をさすようになってきた。
現代社会は、非常に高速、効率的に動くようになってきた。家の作りも、人間関係もそこにおける「間」が少なくなってきているのが、我々の「心」の中の余裕にも反映しているのかもしれない。その結果、無用な焦燥、ネガティブな不安、不必要な緊張が発生することになる。
我々の細胞は1日におよそ15万個ずつ減少していく。年を取るほど「脳のゆとり」も確実に減っていく事になる。しかしながら、80代でもかくしゃくとしている人々も少なくない。
その秘密は、脳細胞の数(ハードウェア)ではなく、脳細胞を互いに連結する神経コードの回路(ソフトウェア)によって補っているのである。この脳のスイッチ回路、シナプスの数からその組み合わせを計算すると「2の十兆乗」になるとのこと。つまり、ハードにガタがきてもソフト(心の持ち方)の可能性は大である。
ストレス過剰社会だけに我々は、緊張とゆとりの上手な使い方を身につける「ストレスマネジメント」が必然的に重要になってくるのであろうか。