「シリーズ(1)いこじ症候群」では、電車の席を譲らない「いこじ3人衆」の例をあげた。
組織の会議などでも、時たま「いこじ症候群」を見る。
数時間の会議の議論の末、終了間近になると「でもね」という。
長い間先輩が作り上げてきたのは民主主義のルールであって、そこの少数意見を重視しながら妥当な線を見い出していく過程といえよう。
人と人が作っている組織であれば裏切り、謀略、恫喝、懐柔といった不条理な権謀術数が皆無とはいえないだろう。
しかしながら、われわれの汗でなんとかひとつの結論にまとめていくには、やはり会議の民主的運営のルールの理念が尊守されていなければならない。
「いこじ症候群」の人は、木を見て森を見ず、己の内界の理念のみがすべての実態や現実に優先する傾向があるのだろうか。
民主的ルールがなかった時代、ガリレオは「地動説」を客観的データのもとに提唱したが無視された。
現在、われわれの会議は民主的ルールの上に客観的データを媒介とし真擊に論議することである。
ちなみに「いこじ」とは「客観的データによっても態度の訂正不能な人」と定義されるかもしれない。
となるとシルバーシートの表示に「いこじな人の席」ご遠慮ください・・となるのだろうか。