メンタルヘルス最前線⑥ 話の分かる課長の悲しい酒-飲み二ケーションが招いた振戦せん妄-
総合心理教育研究所主宰 佐藤 隆
キーワード
1.アルコール依存症、2.振戦せん妄
A氏54歳、流通業の輸送総括責任課長である。温厚、まじめ、実直な性格。健康で、家庭的にも恵まれ、この春長女が結婚し、秋にお孫さんが誕生すればめでたく「若きおじいちゃん」になる。
職場では”リスナー教育”のカタログ的課長であり”部下の話をよく聞いてくれる””話の分かる課長””面倒見のよい上司”など、比較的支持率の高い管理職であった。
多忙なA氏が、どのようにして部下と円滑な人間関係を作ってきたかというと、それは「飲み二ケーション」であった。もともと酒好きで、健康にも恵まれていたので自分自身のストレス解消も兼ねて、部下と「縄ノレン」をくぐるのはいつものことであった。
さまざまな不平、不満、業務の改善、労働条件、人事労務の苦情、はては恋愛問題まで含めての相談となり、飲み二ケーションが深夜にまで及ぶことも少なくなかった。といって、お酒の上での失敗や家庭でのトラブルもなく、無遅刻無欠勤というすばらしさであった。
百数十名の部下との飲み二ケーションは、部下にとっては一年に1、2回の楽しいひとときでも、課長にとっては毎日であった。
ある日の夜、いつになく、労働組合の役員人選についての話が進んだ。時が経つにつれ、職場内調整も含めて議論が続出した。やっと終わったのが午前1時。帰ろうとしたら足がもつれ、お店の階段から転倒、下腹部の骨を折り、入院に至った。幸いに単純骨折であり、処理もスムーズになされ、「3週間の入院とリハビリが必要」ということで済んだ。
A氏も、長年働き詰めだし「リフレッシュ休暇」でもとった気持ちになって養生しようと思った。
しかし、リラックスできるはずの入院が夜になると不安になり、発汗、頻脈、発熱などが続き、「天井から恐い顔が自分を見ている」「毛穴からミミズがはい出してくる」「病室にヘビを飼っている」などと言い出して看護婦さんを困らせた。
専門医に診せたところ、アルコール依存症に伴う振戦せん妄で、長期の慢性飲酒による禁断症状であると診断された。
メンタルヘルス面接に訪れたAさんのショックは、言葉では表現できないほどであった。「私が精神科の患者で、しかもアルコール依存症とは・・・。昔は中毒といったんでしょう。酒の上で何ひとつ問題を起こしたこともなければ仕事を休んだこともない。ましてや家族、友人に迷惑をかけたことのない私がアルコール依存症なんて何かの間違いですよねっ・・・」と目に涙を浮かべて訴えるのであった。「ああ恥ずかしい。孫が生まれるというのに、会社の同僚や部下になんて言えばいいのか、アル中なんて言えませんよ」
振戦せん妄は、慢性の飲酒者が何らかの身体病や外傷(この場合は、骨折による入院)により、多量の飲酒あるいは突然の禁酒をした場合などに現れることが多い。
<おだやかで静かなるアルコール依存症>
従来の飲酒問題は、遅刻、無断欠勤、家庭内トラブル、あるいは病的酩酊などのように外部から判別がつき「あの人が危ない」と分かるような事例が多かった。
しかし最近では、Aさんのような楽しみ型飲酒から始まる「静かなるアルコール依存症」が発生してきている。
Aさんの飲酒も部下との良好なコミュニケーションを促進するためのものだったし、それによってだれも迷惑をこうむってはいない。楽しみ型の、静かでもの分かりの良いごく普通の飲酒のパターンだった。
しかし、飲酒がAさんにとって対人関係の道具として必要不可欠のものとなり、お酒の上でしか話ができなくなってくる傾向をAさんが持ち始め出したころからが要注意だったと思われる。Aさんの弱い自制機能が推察される。
ある企業の管理職百人に久里浜式アルコールスクリーニングテストをしたところ、10人もの社員が極めて問題のある重篤飲酒群に入っていた。
Aさんの周囲の人も「Aさんが肩を落として、飲んでカラオケで騒いでいるときはちっともこんなケースだとは気づかなかった」と語っていた。
毎日のささいな出来事の中にも「気づき」が必要になってくる。皆さんの職場で、Aさんの悲劇を繰り返さないためにも、次の原則を広めたいものである。
①酒の上だから・・・と言って大目にみることをなくそう。
②宴会や、縄ノレンで一杯のときは楽しい雰囲気づくりのためにも酒を強いることはやめよう。
③毎日の同僚、上司との飲酒をスポーツに変えてみよう。
④アルコールは特急のひかり(飲んだら止まらない)ではなくて「各駅停車のこだま」で、休み休み飲もう。