大学院レベルでのすばらしい「マルチディシプナリー教育」の歴史
1952年モントリオール大学は、エクスペリメンタル・メディスン研究所を設立し、世界中からマスターコース及びドクターコースの研究生を集めて、ストレス科学の父として世界的に有名なセリエ博士のもとで研究をしてもらうようにしました。これは、動物や人間のストレスのメカニズムをもっと詳しく明らかにするためでした。セリエ博士は、このメカニズムを「アダプテーション(適応)・エネルギー」と呼んでいましたが、この適応エネルギーが動いていく通り道のメカニズムをさらに明らかにすることで、適応障害(ストレスに関連した病気で、それから40年後、この病気は世界的に有名にになりました)についてもっと詳しく解明しようとしました。この適応障害という病気は、医療の面だけでなく、それを遥かに超えた人間的な問題であるということを提唱し、これに関する広い分野の科学的基盤をセリエ博士と研究者たちは一緒に形成していきました。
1960年代にセリエ博士の元にいた研究生たちが行った心身相関の研究は、臨床的バイオフィードバック、身体と心の理論の発達、人間の老化に影響を与えるストレスの役割など、現在世界でも主要になっている研究の基礎をとなっています。
その後30年間で600人以上の学生が博士号を取得して卒業していきました。彼らは、自分たちの国にもどって、それぞれの国でストレスという概念を伝え、さらに、人間がどのように環境の変化に挑戦し、適応していくのか、また、適応できなくて失敗していくのかという理論を広めました。こうしたことはその後の「マルチディシプナリー」という考え方の記念すべき発生にも大きな役割を演じました。たぶん、一番よく知られているのはアルビン・トフラーとハイジ・トフラーの「未来の衝撃」(1970)という著作物でしょう。これは、歴史学と社会学と精神生理学と未来像を一つにまとめたものでした。
こういった統合科学は、バックミンスター・フラー、マーシャル・マクルーハン、アウレリオ・ペッチェイを含む著名な未来学者や社会学者とセリエ博士との数多くの共同研究の基礎にもなりました。
1975年に、国際マルチディシプリナリー学会をバックアップするため、7人のノーベル賞受賞者によって、ハンスセリエ財団が設立されました。これによって、さらに多くの研究生や実際に仕事に携わっている専門家がモントリオールに来るようになりました。
博士課程の研究の分野もまた広がりました。現在ではロジャー・ギルミン博士のエンドルフィン研究によるノーベル賞受賞に貢献したような基礎科学とは対極にあるものや、未来のヘルスケアの仕方、少年犯罪における生物心理学的要因や、企業の成長や衰退における人的要因といったものまで非常に広範囲になっています。
トフラー博士の本「ジ・アダプティブ・コーポレーション」(1985)は、生行動科学と伝統的な企業経営の考え方を統合することが、いかにすばらしい結果を生むかということに焦点を当てています。
1979年、カナダストレス研究所は、様々な健康管理に関する仕事や、多国籍企業や政府機関の研修や応用研究に携わってもよいという、教育機関としての権利をカナダ政府から与えられました。
1982年10月16日のセリエ博士の死去から間もなく、すべての教育プログラムはモントリオールからトロントに移され、トロントがカナダストレス研究所の新しい本拠地となっています。
組織の効率性や職場の健康増進計画など企業内の広範囲な分野にかかわってきたこと、また、企業の経営者たちが激しい変化によって起こるストレスの影響をいっそう強く認識し始めてきたことなどから、カナダストレス研究所は、企業経営と人事の分野で世界的に評価されるシンクタンクとしての地位を勝ち取ってきました。例えば、日本能率協会とは12年間にわたる協力体制をとってきており、同協会ディレクターのセギシゲル氏がセリエ・トフラー大学の教授及びカリキュラム編成のアドバイザリー委員会に加わるということからも、世界的に認められてきたということがわかると思います。
1992年までに、我々のマルチディシプリナリーという研究方針の伝統は――我々の場合は特に人間の変化への適応に関する研究が主でしたがーー、かつてのエクスペリメンタル・メディスン研究所のころの使命を遥かに超えた内容と多岐な分野にわたる広さを合わせ持つようになりました。そして、そろそろ大学になってもいいのではないかと思われるようになり、またその可能性も出てきました。同じ年に、多国籍企業の研修プログラムやテレメディスン・カナダと我々がやってきた遠隔地教育が高く評価されことで、技術的なベースも整ったと確信するに至りました。つまり、我々が抱えていた国際的な教授陣と、「ストレス」、「変化」、「未来」について勉強したがっているのにカナダに来ることのできない世界中の何百という学生を結びつける技術も整ったのです。